2024.05.15
横浜市中区から横浜市旭区へのお引越し
井上 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用頂き
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、磯崎です。
ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。
また世間ではマスクの着用は任意となりましたが
弊社の作業員は引き続きマスク着用で作業させていただきます。
お客様との距離を保てるときは
外させていただくこともあると思いますが
ご了承ください。
今回は
横浜市中区から横浜市旭区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
横浜市中区は
北部の平地には港側からビジネス街、繁華街、
そして住宅街が主体になっています。
中南部は内陸側が高台で「山手町」を中心とした
いわゆる「山手」と呼ばれる地区は昔からの住宅地です。
海岸側は全て埋め立てられて自然海岸は無く、
北は新港・山下公園などの観光地で、
南は埠頭・製油所などの重化学工業地帯で、
横浜港の中心となっています。
関内地区(旧・横浜村)を居留地として外国人で栄え、
横浜市の市名のもととなった地域でもあります。
戦前は絹の貿易で栄え、
バルモン商会やシーベル・ブレンワルト商会など、
多くの外国商社が軒を連ねていました。
本町通りの一本南側にある「シルク通り」は、
その名残といわれています。
インド人商人なども多かったが、
現在は大半が他都市に移動するか帰国しています。
また英国総領事館やフランス領事館も中区に置かれていました。
航空機が移動手段の主流になる以前は、
貨客船などで海外に出る移民の多くがこの地を訪れており、
移民乗船の斡旋と宿泊業を行う外航旅館が多かったそうです。
また、山手にはかつて
イギリス軍やフランス軍が駐屯していました。
「フランス山」などの地名はその名残といわれています。
フランス山は、フランス軍撤退後フランス領事館が置かれるなど
幕末以降1971年横浜市が購入するまで一貫して
フランス政府が所有していました。
お引越し先の横浜市旭区は、
1950年代から横浜市中心部や
京浜工業地帯への通勤者のベッドタウンとして宅地化が進み、
丘陵地や農地に万騎が原・上白根・左近山・
ひかりが丘・横浜若葉台団地などの
大規模団地が造成され人口が激増しました。
1999年4月には日本最大級のよこはま動物園ズーラシアが開園しました。
区内を横断する保土ヶ谷バイパスは渋滞の名所で知られるが、
2016年4月24日に上川井インターチェンジから
南町田北交差点間の延伸事業が完成し町田立体事業が完成した事により、
いくぶん渋滞は緩和されました。
今後は二俣川地区で再開発が行われることになり、
2010年度より中尾町の二俣川県有地に所在する県の行政機関のうち、
県立がんセンターと神奈川県警察運転免許センターにおいて、
県有地内での相互移転を含む大規模な改修が行われました。
積み地が条件的に不安もありましたが
無事に終わりよかったです。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。
またご機会ありましたら、スタッフ一同
心よりお待ちしております。
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