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営業ブログ

2021.01.14

川崎市麻生区から東京都東村山市へのお引越し



須関  様


この度は
弊社ムーバーズをご利用いただき
ありがとうございました。

作業を担当させていただきました、丸田です。

今回は
川崎市麻生区から東京都東村山市へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。


川崎市麻生区は、
1982年7月に多摩区から分区して設置されました。

南北に長い川崎市において、
行政・商業の中心となっている川崎区とは最も離れています。 

そのため市役所等への移動は非常に時間がかかり、
川崎市中心部よりも東京都庁のある新宿への便が良いです。

そのため大半のことは区内で事足りるよう、
区のほぼ中央の丘陵を開拓されています。

小田急の新百合ヶ丘駅付近を川崎市の北部副都心と位置づけて、
区役所、税務署などの公共施設、百貨店、映画館など
様々な商業施設が充実する近代都市としての開発が行われました。

商業だけでなく、小田急小田原線・多摩線を軸にした
東京のベッドタウンとして発展が続いています。

元々、同区域は津久井街道が五反田川や麻生川に沿って伸び、
また1927年の小田急線開業によって交通の不便が改善され、
その沿線には集落が形成されていました。

さらに1960年代に入ると
現在の麻生区域の丘陵地帯では日本住宅公団による
団地建設を皮切りに急速な住宅地整備が進められ、
整備地域内の人口は急増したが、整備地域から外された大半の土地は
山林に覆われ、人口も少なかったです。

しかし1974年に多摩線が開業したことで沿線付近が住宅地として開発され、
また2000年以降には多摩線を意識した運行ダイヤが組まれ、
都心へのアクセスが向上したことで、
小田急不動産などのデベロッパーが積極的な開発・販売をした
新興住宅地が沿線に多く存在します。

その為、川崎市の中で社会増が最も多い区になっています。


お引っ越し先の東京都東村山市は、
東京都の多摩地域北部に位置する市です。

人口は約15万人で高田馬場駅まで西武新宿線で
最短21分という地の利から、
ベッドタウンとして開発が進められています。

江戸時代の初めに幕府の老中、
松平伊豆守信綱が掘らせたことから
「伊豆殿堀」とも呼ばれる野火止用水や、
狭山丘陵から流れ出している柳瀬川支流や空堀川から水利を得て、
畑作が盛んなところでした。

市内に初めて鉄道が通ったのは
明治時代の川越鉄道で、
府中街道に近い久米川仮駅(現東村山駅)が開設され、
以来2社8路線9駅が展開し、
久米川駅が駅500m範囲の人口で多摩地区一位になるなど
主に住宅地からなる都市となっています。


ご家族皆様で作業をお手伝いいただき
とても助かりました。
 
階段が多く大変な部分もありましたが
頑張りました。

作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。

またご機会ありましたら、スタッフ一同
心よりお待ちしております。

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