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営業ブログ

2022.02.28

横浜市中区から川崎市麻生区へのお引越し



五十嵐  様


この度は
弊社ムーバーズをご利用いただき
ありがとうございました。

作業を担当させていただきました、朝岡です。

今回は
横浜市中区から川崎市麻生区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
 

横浜市中区は
北部の平地には港側からビジネス街、繁華街、
そして住宅街が主体になっています。

中南部は内陸側が高台で「山手町」を中心とした
いわゆる「山手」と呼ばれる地区は昔からの住宅地です。

海岸側は全て埋め立てられて自然海岸は無く、
北は新港・山下公園などの観光地で、
南は埠頭・製油所などの重化学工業地帯で、
横浜港の中心となっています。
 
関内地区(旧・横浜村)を居留地として外国人で栄え、
横浜市の市名のもととなった地域でもあります。

戦前は絹の貿易で栄え、
バルモン商会やシーベル・ブレンワルト商会など、
多くの外国商社が軒を連ねていました。

本町通りの一本南側にある「シルク通り」は、
その名残といわれています。

インド人商人なども多かったが、
現在は大半が他都市に移動するか帰国しています。

また英国総領事館やフランス領事館も中区に置かれていました。

航空機が移動手段の主流になる以前は、
貨客船などで海外に出る移民の多くがこの地を訪れており、
移民乗船の斡旋と宿泊業を行う外航旅館が多かったそうです。

また、山手にはかつて
イギリス軍やフランス軍が駐屯していました。

「フランス山」などの地名はその名残といわれています。

フランス山は、フランス軍撤退後フランス領事館が置かれるなど
幕末以降1971年横浜市が購入するまで一貫して

フランス政府が所有していました。


お引越し先の川崎市麻生区は、
1982年7月に多摩区から分区して設置されました。

南北に長い川崎市において、
行政・商業の中心となっている川崎区とは最も離れています。

そのため市役所等への移動は非常に時間がかかり、
川崎市中心部よりも東京都庁のある新宿への便が良いです。

小田急の新百合ヶ丘駅付近を川崎市の北部副都心と位置づけて、
区役所、税務署などの公共施設、百貨店、映画館など
様々な商業施設が充実する近代都市としての開発が行われました。

南北交通の強化を図るため、川崎市では
川崎縦貫高速鉄道の建設構想を1960年代から提起しているが、
着工には至っていないそうです。

商業だけでなく、小田急小田原線・多摩線を軸にした
東京のベッドタウンとして発展が続いています。

元々、同区域は津久井街道が五反田川や麻生川に沿って伸び、
また1927年の小田急線開業によって交通の不便が改善され、
その沿線には集落が形成されていました。

さらに1960年代に入ると
現在の麻生区域の丘陵地帯では日本住宅公団による
団地建設を皮切りに急速な住宅地整備が進められ、
整備地域内の人口は急増したが、
整備地域から外された大半の土地は
山林に覆われ、人口も少なかったです。

しかし1974年に多摩線が開業したことで
沿線付近が住宅地として開発され、
また2000年以降には多摩線を意識した運行ダイヤが組まれ、
都心へのアクセスが向上したことで、
小田急不動産などのデベロッパーが積極的な開発・販売をした
新興住宅地が沿線に多く存在します。
 
その為、川崎市の中で社会増が最も多い区になっています。


お引越しに協力的な赤ちゃんのおかげもあり
作業が滞ることなく終わりました。
 
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。

またご機会ありましたら、スタッフ一同
心よりお待ちしております。

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