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営業ブログ

2022.08.08

横浜市中区から神奈川県藤沢市へのお引越し



八重樫  様


この度は
弊社ムーバーズをご利用いただき
ありがとうございました。
 
作業を担当させていただきました、河野です。

ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。

まだまだマスクが手放せなく
油断できない状況下ですが
これからもできることを徹底して
お客様に安心してお引越ししていただけるように
心がけてまいります。

今回は
横浜市中区から神奈川県藤沢市へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。

 
横浜市中区は
北部の平地には港側からビジネス街、繁華街、
そして住宅街が主体になっています。

中南部は内陸側が高台で「山手町」を中心とした
いわゆる「山手」と呼ばれる地区は昔からの住宅地です。

海岸側は全て埋め立てられて自然海岸は無く、
北は新港・山下公園などの観光地で、
南は埠頭・製油所などの重化学工業地帯で、
横浜港の中心となっています。

関内地区(旧・横浜村)を居留地として外国人で栄え、
横浜市の市名のもととなった地域でもあります。

戦前は絹の貿易で栄え、
バルモン商会やシーベル・ブレンワルト商会など、
多くの外国商社が軒を連ねていました。

本町通りの一本南側にある「シルク通り」は、
その名残といわれています。 

インド人商人なども多かったが、
現在は大半が他都市に移動するか帰国しています。

また英国総領事館やフランス領事館も中区に置かれていました。

 航空機が移動手段の主流になる以前は、
貨客船などで海外に出る移民の多くがこの地を訪れており、
移民乗船の斡旋と宿泊業を行う外航旅館が多かったそうです。

また、山手にはかつて
イギリス軍やフランス軍が駐屯していました。

「フランス山」などの地名はその名残といわれています。

フランス山は、フランス軍撤退後フランス領事館が置かれるなど
幕末以降1971年横浜市が購入するまで一貫して
フランス政府が所有していました。


お引っ越し先の神奈川県藤沢市は
住宅・観光・産業・文教都市です。

全国的に有名な江の島、片瀬・鵠沼・辻堂海岸を有し
観光都市としての性格も併せ持つ「湘南」の中心都市です。

藤沢市内の駅では、JR、私鉄(小田急・相鉄・江ノ電)、
地下鉄(横浜市営地下鉄)、モノレール(湘南モノレール)の駅が存在し、
比較的交通の利便性が高い事から、東京・横浜の通勤・通学圏として発展し、
湘南海岸の温暖且つ穏やかな気候を求める人々や
サーフィンなどマリンスポーツなどを行う人や
良好な自然・住・教育環境を求める人等により人口が増加し続けています。
 
明治時代から第二次世界大戦の間、気候も温暖であることから、
南部の鵠沼・片瀬地区は明治時代中期より日本初の計画別荘地として開発され、
大正期以降、皇族や政治家、
数多くの学者や文化人などが居を構えた事で、
別荘地・保養地・避暑地として発達し、
芥川龍之介など多くの文化人の創作活動の場となりました。

第二次世界大戦後は東京のベッドタウン化が進み
人口が急増すると共に、JR(東海道本線、湘南新宿ライン、上野東京ライン)、
小田急(江ノ島線)、江ノ電の3つの鉄道が集まる藤沢駅を中心に
商業施設が集まっています。
 
また、慶應義塾大学、湘南工科大学、多摩大学、
日本大学を有する文教都市でもあります。

市の南部に位置する鵠沼海岸は、古くより海水浴場が開かれ、
現在は片瀬西浜・鵠沼海水浴場として年間来客数300万人を超す

日本一の海水浴場として知られ、
日本におけるビーチバレー発祥の地ともいわれています。

片瀬東浜海水浴場は、明治初期から
外国人による海水浴が行われた伝統を持っています。

現在でも夏季や初詣時期以外においても年間を通じ
約1,200万人もの観光客を集める湘南随一の観光地として有名です。
 

暑かったので熱中症に注意しながら
作業しました。

荷物も綺麗にまとまっていて
運び出しもお手伝いいただいたので
スムーズに作業することができました。
 
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。

また、ご機会ありましたらスタッフ一同
心よりお待ちしております。

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